2016年1月28日木曜日

『村のロメオとユリア』(岩波文庫):ゴートフリート・ケラー

村のロメオとユリア (岩波文庫 赤 425-5)村のロメオとユリア (岩波文庫 赤 425-5)
ケラー 草間 平作

岩波書店 1972-05
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【概要】
書名:村のロメオとユリア
著者:ゴートフリート・ケラー(ゴットフリート・ケラー)
訳者:草間平作
出版社:岩波書店(岩波文庫)
頁数:126頁
備考:中篇小説

【作者情報】
 ゴットフリート・ケラー(1819-1890)。スイスの小説家。ドイツ語で執筆。

【感想】(ネタバレあり)
スイスの架空の村「ゼルトウィーラ」を舞台にした連作短編集『ゼルトウィーラの人々』の中の1作品。1856年刊行。

タイトル内の「ロメオ」と「ユリア」をそれぞれ英語読みすると、「ロミオ」と「ジュリエット」。つまり、『村のロメオとユリア』は、シェイクスピアの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』の村バージョンとなるだろうか。

比較的裕福な農夫マンツとマルチはゼルトウィーラの村でそれなりに仲良く暮らしていたが、新たに開墾した土地の境界を巡る問題から軋轢が生じてしまう。この軋轢は収まるどころか逆に激しくなり、マンツとマルチは次第に相手を打ちのめすことだけに専心するようになる。その結果、両家とも、田畑を顧みなくなり、濫費を重ね、そして没落していくのだった。

そんな憎しみ合うマンツとマルチの最大の被害者は、マンツの息子サリーと、マルチの娘ヴァヘーレン。二人は、幼馴染で、成長とともに互いに魅かれ合うようになっていた。

両家の争いにおいて先に財産を消尽してしまったマンツ一家は、生活費を場末にある飲み屋の経営で稼ぐために町へと引っ越す。一方、マルチは心労で妻を喪う。

その後、サリーはヴァヘーレンとの偶然の再会を果たすものの、逢瀬の現場を見ていたマルチの頭に怪我を負わせてしまう。その怪我が原因でマルチは狂人になってしまい、精神病院に入院。マルチの家は抵当に入れられ、ヴァヘーレンは奉公に出ることになった。

そして、サリーとヴァヘーレンは、なけなしのお金を持ってヴァヘーレンの奉公先へと向かうのだが、途中で気が変わり心中する。

『ロミオとジュリエット』を下敷きにした設定や物語の筋などに特出しているところはあまりないし、感傷的すぎる嫌いもある。けれども、魅かれる箇所も多く、印象に残る小説だと思う。

例えば、マンツとマルチがつかみ合って喧嘩をする場面。共に喧嘩なんてしたことがないため、憎しみだけが先に立ち、無様に転がり合うだけになるのだが、その時の見ていられないほどの滑稽さと哀しさは、両家の争いの本質を良く表していると思う。

個人的に最も良いと思う場面は、サリーとヴァヘーレンが徒歩で奉公先に向かうところ。先を思えば茫洋とする状況の中で、そのことを気にしないようにしながら、喫茶店のようなところで珈琲を飲んだり、村祭りで踊ったりと、今を楽しもうとするサリーとヴァヘーレン。その先にある悲劇的な結末を予感させつつ、いつまでも二人をそっとしておきたくなる。美しく、そして切ない場面だ。



2016年1月25日月曜日

『フラックスへの反論/ガイウスへの使節』(京都大学学術出版会):フィロン

フラックスへの反論・ガイウスへの使節 (西洋古典叢書)フラックスへの反論・ガイウスへの使節 (西洋古典叢書)
フィロン 秦 剛平

京都大学学術出版会 2000-10
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【概要】
書名:フラックスへの反論/ガイウスへの使節
著者:(アレクサンドリアの)フィロン
訳者:秦 剛平
出版社:京都大学学術出版会(西洋古典叢書)
頁数:285
備考:史書

【作者情報】
紀元前20~30年頃に生まれ、紀元後4045年頃に死去したとされるユダヤ人哲学者。膨大な著作があることでも知られている(邦訳がどの程度あるかは分からないが、軽く調べた感じでは少ない印象)。当時のローマ帝国における第2の都市アレクサンドリアでユダヤ人共同体の指導的地位にあったと考えられている。

【感想】
本書には、「フラックスへの反論」と「ガイウスへの使節」という2つの文章の邦訳が所収されているが、これらがどのような文章かを説明するのは難しい。一般には、古代のポグロム(ユダヤ人に対する迫害)を今に伝える貴重な資料という説明がなされているけれど、それは結果論であって、元々の目的や用途がよく分からないのである。翻訳者の秦氏の解説によれば、読むためのものではなく、読み上げるためのもの、つまり、演説用の原稿としか思えないとのことだが、何のための演説なのかははっきりしない。それゆえ、この文章をどのように評価したらいいのか戸惑ってしまうのだが、結局のところ、古代のポグロムの資料として読まざるを得ないのかもしれない。

[フラックスへの反論]
タイトルからすると、フラックスに対して異議申立てを行う文章のように思えるが、実際はそうではなく、フラックスが行った蛮行とその報いを描きつつ、フラックスにより虐げられたユダヤ人の潔白さを示すもの。ちなみにフラックスは、ローマ帝国における政治家で、ポグロムが発生したときのエジプト総督である。

フィロンは、ユダヤ人に対する迫害の波がエジプトのアレクサンドリアにもやってきたときに、フラックスは、それを治めるどころか焚き付けたとして批判し、その時のユダヤ人の迫害の様子を描いている。ユダヤ人を特定の地域に追いやるなど、ゲットーの萌芽が既に見られるのが印象的。

結局、フラックスは失脚し、流刑地で時のローマ皇帝の命令により殺害される。フラックスの悲惨な末路は因果応報なのだとフィロンは説く。

[ガイウスへの使節]
ガイウスは、第3代ローマ帝国皇帝カリギュラのことで、ポグロムが発生したときのローマ皇帝。ネロと並ぶ暴君として有名。アレクサンドリアでポグロムが発生したとき、アレクサンドリアのユダヤ人共同体ィは、ガイウスに対する陳情のためにローマに使節団を派遣する。フィロンはその一員であった。

「ガイウスへの使節」では、使節団の様子や陳情の内容と、その前後のガイウスの状況や行為などが示されている。当初賢帝と思われていたガイウスが暴君に急変し、それを受け入れることができない民衆の動揺などまで描かれており、フィロンの考察力も味わうことができる。


2016年1月18日月曜日

『カルメン/コロンバ』(講談社文芸文庫):メリメ

カルメン/コロンバ (講談社文芸文庫)カルメン/コロンバ (講談社文芸文庫)
プロスペル メリメ Prosper M´erim´ee

講談社 2000-07
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【概要】
書名:カルメン/コロンバ
著者:プロスペル・メリメ
訳者:平岡 篤頼
出版社:講談社(講談社文芸文庫)
頁数:369頁
備考:中篇小説集(2篇収録)

【作者情報】
プロスペル・メリメ(1803-1870)。フランスの小説家。

【感想】
「カルメン」、「コロンバ」というメリメの代表的な中篇小説を2篇所収している。「カルメン」は、岩波文庫や新潮文庫などでも容易に手に入るので、「コロンバ」を読みたい人向けの本かもしれない。

【カルメン】(ネタバレあり)
1845年発表。作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)がオペラ化したことでも有名なメリメの代表作。

メリメがスペインで出会ったドン・ホセの身の上話という体裁をとった中篇小説。ジプシーの美女カルメンに激しい恋心を抱いたホセは、軍隊から逃亡し、カルメンのために盗賊に身を落とす。その後、カルメンの夫ガルシアが脱獄してくると、ホセは、同じ盗賊団の仲間としてガルシアと行動を共にするようになるのだが、熱愛するカルメンの夫と相容れるわけもなく、結局ガルシアを決闘で殺してしまう。これで満足がいくと思いきや、ホセは、闘牛士のルカスに気を移したカルメンさえも殺してしまうのだった。

カルメンの美貌と自由を欲する気質は男を暴力的にするようだ。ガルシアは一見すると、ただ凶暴なだけの男で、ホセとは違いカルメンをそれほど愛しているようには見えないが、実際にはガルシアもカルメンに狂わされた男なのだろう。ホセがカルメンを殺すのに使った匕首が元々はガルシアのものだったことは、カルメン殺害がガルシアの願望でもあったことを暗示していると思う。

あと物語とは直接は関係しないのだが、夕暮れ時になると裸になって川で垢を落とす女性たちを、暗闇で見えないのに関わらず男たちが遠くから一生懸命覗こうとしているエピソードと、それに続く、夕暮れ時を知らせる鐘の音をいつもより早く鳴らさせて、明るいうちに川に入る女たちを男たちがニヤケながら見つめるエピソードがいい。冒頭に挿入されるこの楽園的なエピソードは、作中のメリメが感じている旅の高揚感や幸福感を上手く表しているし、読んでいる私もまた少し背徳的な喜びを覚えずにはいられない。

実際に作中のメリメもこのエピソードを当初は非常に気に入っている。しかし、メリメがカルメンと邂逅した後では、メリメ自身も陰鬱となり、このエピソードがメリメを惹きつけることもなくなる。メリメ自身もまた、ホセと同様に、カルメンと出会うことによって失楽したのだ。ホセは、メリメの(そして読者の)一つの可能性なのである。

【コロンバ】
「カルメン」と並ぶメリメの代表的な中篇小説。1841年発表。

大佐とその娘は、観光のためにシチリア島へと向かう途中で、シチリア島出身の男オルソと出会う。オルソの父親はある男の謀略によって殺されており、島の古くからの掟では、そのような場合には、父親の敵を討たなければならない。しかし、オルソは島外の生活が長かったため、そんな野蛮な掟に従う気にはなれなかった。

ところが、シチリア島にずっと住んでいたオルソの妹コロンバは復讐を誓っていた。コロンバは嫌がるオルソを焚き付け、敵との戦いを余儀なくさせるのであった。

大佐の娘とオルソのラブロマンスの要素もあるが、注目すべきは、やはりそのラブロマンスの背後で着々とオルソを戦いへと引き込むコロンバの悪女ぶりだろう。コロンバは、カルメンのような奔放自在さが故に男を惑わすファム・ファタールではなく、自分の目的を果たすためには手段を選ばず、人を不幸にすることを目的としているので、カルメンよりも怖い。

悪女やファム・ファタールのような言葉を使って小説を説明すると、ミソジニー(女嫌い)的な小説に見えてしまうかもしれないが、個人的には、これらの小説は、ミソジニー的というよりマゾヒズム的な小説だと思うのだが、どうだろうか?