2016年4月4日月曜日

『ローマ皇帝群像』:アエリウス・スパルティアヌス他(京都大学学術出版会)

ローマ皇帝群像〈1〉 (西洋古典叢書)ローマ皇帝群像〈1〉 (西洋古典叢書)
アエリウス スパルティアヌス 南川 高志

京都大学学術出版会 2004-01
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【概要】
書名:ローマ皇帝群像
著者:アエリウス・スパルティアヌス 他
訳者:南川高志、桑山由文、井上文則
出版社:京都大学学術出版会(西洋古典叢書)
頁数:258頁(1巻)、347頁(2巻)、355頁(3巻)、398頁(4巻)
備考:史書

【作者情報】
概要に挙げたアエリウス・スパルティアヌスを含む六人の歴史家によって執筆、編纂されたと伝わっているが、実際にはそれは嘘らしい。記述内容だけからすると、コンスタンティヌス帝(コンスタンティヌス1世)に捧げているので四世紀前半に編纂されたように見えるが、実際には、四世紀中期から五世紀以降まで諸説あるそうで(四世紀後半説が有力)、作者も一人である可能性が高いとのこと。

【感想】
ローマ時代に書かれた歴史書は、数多くあるものの、その多くが帝政前期までのもので、帝政中期から後期の歴史書は少なく、特に邦訳はほとんどない。そんな状況において、京都大学学術出版会(西洋古典叢書)から翻訳出版された、この『ローマ皇帝群像』は貴重である。

『ローマ皇帝群像』は、五賢帝の一人であるハドリアヌス帝(在位:117年-138年)から軍人皇帝時代の最後の皇帝であるヌメリアヌス帝(在位:283-284年)までの皇帝や僭称帝(皇帝を僭称した人)の伝記を集めたもので、邦訳では四巻に分冊されている。四巻を全て新刊で買うと一万円を超えてしまうので、容易に手は出せないかもしれないが、古代ローマに関心のある人にとっては感涙ものである。

ただし、伝記といても、信憑性が低い記述も多く、特に一部の皇帝の伝記についてはほぼ完全にフィクションであったりするなど、扱いはかなり難しい。それでも、本邦訳書では、詳細な訳註により、どの記述がどの程度の信憑性を有しているのかが概ね分かるようになっているので、ストレスはほとんど感じない。

ラテン語の原文や英訳であれば、ここなどでもフリーで読めるが、詳細な訳注はフリーで読める原文や英訳にはない本邦訳書ならではの魅力だろう。

[第一巻]
ローマはアウグストゥス(在位:AD27-14年)により帝政に移行した後、内乱などを経験したものの、それを乗り越え、五人の賢帝が連続して帝位についた五賢帝時代によって最盛期を迎える。第一巻は、五人の賢帝の三番目にあたるハドリアヌス帝の生涯から始まる。

ハドリアヌス帝は、ローマ帝国最盛期の皇帝ということもあり、近現代ではかなり高い評価を得ているようだが、意外にも本書での評価は低く、暴君の一歩手前くらいの酷い言われようをしているところもある。確かに、密偵を使って元老院議員の生活を探らせたりするなど、陰険な面があったようだ。ただ、公衆浴場でのエピソードなどユーモアもあって、個人的には嫌いではない。

ハドリアヌス帝の後を継いだアントニヌス・ピウス帝(在位:138年-161年)の伝記は、短めだが、評価は高く、史実的な信憑性も高いとされているようである。

アントニヌス・ピウス帝の後を継いだのは、五賢帝最後の一人となるマルクス・アントニヌス帝(在位:161-180)。マルクス・アントニヌス帝は、自身の哲学的な思索をまとめた『自省録』を執筆したことでも有名で、哲人皇帝として名高い。本書でも、哲人皇帝の名に相応しい賢帝としての人生が描かれている。ただし、哲人皇帝という名前から予想される隠者のような皇帝とは異なり、対外的な戦争に追われ、在位中は主に戦場で暮らしている。

第一巻には、それ以外にも、アントニヌス帝の共同皇帝であるウェルスの生涯なども収められている。これらの伝記も含め、第一巻の伝記は、信憑性も比較的高く、伝記らしい伝記が多い。

[第二巻]
第二巻は、マルクス・アントニヌス帝の実子であるコンモドゥス帝(在位:180-192年)の生涯から始まる。一般的に五賢帝時代は、各皇帝が優秀な人を養子にして次期皇帝に据えることで、優秀な皇帝を擁立してきたとされているが、それは間違いで、単に皇帝を継げるような実子に恵まれなかっただけである。

マルクス・アントニヌス帝は皇帝を継げる実子に恵まれたが、ローマ市民にとっては最悪だった。コンモドゥス帝は、ネロ帝やドミティアヌス帝と並ぶ暴君になってしまったからだ。

コンモドゥス帝は、幼少の頃から、棍棒で人を殴ったり、大食で淫乱だったりといいところがなく、帝位に就いてからは、父の代から続いていた戦争を終結させた点を除けば、愚帝かつ暴君としてローマ帝国に君臨したといっていいと思う。愚かで野蛮な行動は、わざと面白おかしく書かれたものではないかという疑念も浮かぶが、意外にも伝記としての信憑性は高いとのことである。

コンモドゥス帝は結局暗殺され、ローマ帝国は「五皇帝の年」と呼ばれる内乱期に入る。「五皇帝の年」には、短い治世ながらも正統の皇帝として元老院に承認を得たペルティナクス帝とディディウス・ユリアヌス帝、そしてニゲルやアルビヌスのような僭称帝などが乱立するが、最終的にはセウェルス帝(在位:193-211年)が内乱に終止符を打ち、セウェルス朝を開始する。

「五皇帝の年」の皇帝や僭称帝の伝記は、セウェルス帝のものを除けばかなり短いが、それでも(信憑性はどうであろうとも)伝記として残っているだけでも十分だろう。セウェルス帝は、過失に対しては非常に厳しかったが、基本的には賢明な皇帝として描かれている。

セウェルス帝を継いだのは、その長男のカラカラ帝(在位:197-217年。※在位期間がセウェルス帝と重複しているのは、共同統治時代があるから)。カラカラ帝は、ローマに今も遺跡が残るカラカラ浴場の建設や、帝国内の全ての自由民にローマ市民権を与えたアントニヌス勅令などで有名な皇帝である。

カラカラ浴場の遺跡は数年前のイタリア旅行で観てきたが、かなり巨大な建築物で、ローマは最盛期を過ぎてなお、こんな建築ができたのかと驚くばかりだった。そんなカラカラ浴場に行ったことのある身としては、自然とカラカラ帝に親近感を覚えてしまうのだが、残念なことに、カラカラ帝は共同皇帝でもあった弟のゲダを暗殺するなど傍若無人な暴君である。

ローマ帝国においては、暴君と呼ばれる皇帝は基本的に暗殺されてしまうのだが、カラカラ帝もその例に漏れず、暗殺されてしまう。その後、帝位はカラカラ帝を暗殺したマクリヌスと、その息子のディアドゥメニアヌスに一旦移るものの、直ぐにカラカラ帝の親族であるヘリオガバルス帝(在位:218-222年)を擁立した勢力に敗北を喫する。マクリヌスとディアドゥメニアヌスは正統な皇帝ではあるが、本書では、僭称帝のような扱いを受けている。ちなみに、マクリヌス帝の伝記から、作者の創作が多くなり、信憑性は低くなっていくようである。

ヘリオガバルス帝の伝記は、本書の中でも最も特異なものの一つであり、間違いなく最も面白い伝記の一つでもある。後半は、ヘリオガバルス帝を狂気の皇帝として描くことを目的とした半ばエログロ系のエピソードで占められている。これらのエピソードは、信憑性は全くないものの、ローマ時代の前衛的想像力を知る上で非常に貴重だし、面白い。

狂気の皇帝が人生を全うできるほどローマ皇帝の地位は確固としたものではなく、ヘリオガバルス帝は当然のように暗殺されてしまう。

[第三巻]
ヘリオガバルス帝の後を継いだのは、カラカラ帝の親族アレクサンデル・セウェルス帝(在位:222-235年)である。アレクサンデル・セウェルス帝の伝記は、本書の中でも最も長く、そこで描かれているアレクサンデル・セウェルス帝は理想の皇帝である。しかし、これは実像ではなく、作者の理想像が投影されたものらしい。最も長い伝記にも関わらず、ほぼ創作で埋められているとのことである。ただし、史実を知ることはできなくても、当時の理想の皇帝像を知る上では重要な伝記であろう。

理想の皇帝も、その理想を解さない者にはただ邪魔な存在である。アレクサンデル・セウェルス帝は、美点の一つでもあった厳格さを嫌う者に殺されてしまう。

アレクサンデル・セウェルスの死後、ローマ帝国は軍人皇帝時代と呼ばれる混乱期に突入する。軍人皇帝時代は、目まぐるしく皇帝が代わり、さらに僭称帝も多く、はっきりいって覚えきれない。

本書でも今までの一人の皇帝に一章を割くというスタイルを止め、二人をまとめて紹介するなど、慌ただしく進んでいく。具体的には、最初の軍人皇帝であるマクシミヌス・トラクス帝(在位:235-238年)や、六皇帝の年と呼ばれる238年に帝位に付いては消されていくゴルディアヌスなどの皇帝の伝記を矢継ぎ早に紹介されていく。そして、その後、残念なことに大きく欠損してしまう(元々書かれていないという説もある)。

再開されるのは、異民族の捕虜になった最初のローマ皇帝という不名誉な形で有名なウァレリアヌス帝(在位:253-260年)の伝記の途中から。異民族の捕虜になった場面などは興味がそそられるのだが、そこも欠損しているので読むことができない。返す返すも残念である。ちなみに、井上文則氏の『軍人皇帝のローマ』(講談社選書メチエ)によれば、ウァレリアヌス帝は混乱したローマを立ち直すための改革を進めた賢帝であるが、たまたま捕虜となってしまったために、評価が不当に低くなっているとのことである。

ウァレリアヌス帝の後を継いだのは、その息子のガッリエヌス帝(在位:253-268年)。ガッリエヌス帝は、本書では、捕虜となった父を助けない最低な皇帝として描かれている。

ガッリエヌス帝の治世下では、ローマ帝国は、ガッリエヌス帝が治める本国と、本国から独立したガリア帝国とパルミラ王国とに事実上分裂する。第三巻の最後には、そのガリア帝国とパルミラ王国の指導者や、他の僭称帝などが「三○人の僭称帝たちの生涯」としてまとめて紹介されている。それぞれ短い伝記だが、超男社会のローマにあってパルミラ王国の「女王」として君臨したゼノビアの伝記なども含まれていて、興味は尽きない。

[第四巻]
第四巻は第三巻と比べると、落ち着きを取り戻している。

ガッリエヌス帝の後を継いだクラウディウス帝(在位:268-270年)は、僅か2年程度の治世でありながら、神君とまで称されているほど評価が高い。内乱で国力が低下したローマに本格的に侵攻してきたゴート族に勝利したことがその主な理由で、本伝記もゴート族との戦いの記述が大半を占める。

クラウディウス帝の後を継いだのは、同じく神君と称されたアウレリアヌス帝(在位:270-275年)である(実際には、クラウディウス帝の弟を暗殺して皇帝に伸し上がる)。ガリア帝国とパルミラ王国を滅ぼし、帝国領を回復したことが何よりの功績。ただし、残忍だったとの記述もあり、神君とはいえ、善帝ではなく、強い皇帝というイメージが正しいと思う。

アウレリアヌス帝も暗殺されてしまうのだが、その後、驚くべきことに帝位が一旦空位となる。以前なら多くの僭称帝が現れ、再び内乱になるところだが、そうならなかったのは、ローマ帝国が落ち着きを取り戻している証拠であろう。

その後、タキトゥス帝(在位:275-276年)が元老院から選出される形で皇帝となる。しかし、在位期間も短く、取り立てて功罪もないので、特に面白味のある伝記ではない。

タキトゥスの死後、タキトゥスの弟であるフロリアヌス帝との争いに勝利したプロブス帝(在位:276-282年)がローマ帝国を掌握する。プロブス帝は、最良の善帝と謳われ、元老院に大きな権力を与えたということになっているが、それは史実ではないらしい。

そして架空の人物や荒唐無稽なエピソードを含む四人の僭称帝の伝記が描かれた後、プロブス帝を暗殺したカルス帝(在位:282-283年)と、その息子のカリヌス帝(在位:283-285年)およびヌメリアヌス帝(在位:283-284年)の伝記で締めくくられる。この伝記の後半は、カリヌス帝を破り、軍人皇帝時代に終止符を打つことになるディオクレティアヌス帝(在位:284-305年)の賛美となっており、ディオクレティアヌス帝の後継者たちへの追従を感じさせる作りとなっている。


ローマ皇帝群像〈2〉 (西洋古典叢書)ローマ皇帝群像〈2〉 (西洋古典叢書)
アエリウス スパルティアヌス 桑山 由文

京都大学学術出版会 2006-06
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ローマ皇帝群像〈3〉 (西洋古典叢書)ローマ皇帝群像〈3〉 (西洋古典叢書)
アエリウス スパルティアヌス 桑山 由文

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ローマ皇帝群像4 (西洋古典叢書)ローマ皇帝群像4 (西洋古典叢書)
アエリウス スパルティアヌス 井上 文則

京都大学学術出版会 2014-09-24
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軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡 (講談社選書メチエ)軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡 (講談社選書メチエ)
井上文則

講談社 2015-05-10
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2016年2月8日月曜日

『ビリー・バッド』(光文社古典新訳文庫): ハーマン・メルヴィル

ビリー・バッド (光文社古典新訳文庫)ビリー・バッド (光文社古典新訳文庫)
ハーマン メルヴィル Herman Melville

光文社 2012-12-06
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【概要】
書名:ビリー・バッド
著者:ハーマン・メルヴィル
訳者:飯野友幸
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)
頁数:215頁
備考:中篇小説。

【作者概要】
 ハーマン・メルヴィル(18191891)。アメリカ合衆国の小説家。生前はあまり評価されず、日々の生活に追われながら作品を執筆。晩年は息子の自殺など不幸が重なった。

【感想】(ネタバレあり)
メルヴィルの最後の小説で、死後1924年に初出版。

物語の筋は単純。イギリスの軍艦に強制徴用されたビリー・バッドは、無垢で善良な性格のために他の乗組員から愛されるが、先任衛兵長(艦内警察官)のクラガートにだけは嫌われてしまう。クラガートは、「生来の悪」を隠して生きている人物で、小説内では、ビリーとは対照的な役割を担っている。

クラガートはビリーが反乱を企てていると艦長のヴィアに謗る。ヴィアはビリーを呼び出し、弁解をしろと迫るが、その時ビリーは思わずクラガートを殴りつけて殺してしまう。その後、ヴィア主動による軍法裁判が行われ、ビリーに極刑が下される。そして、明朝、他の船員が見守る中、ビリーに対する絞首刑が執行されるのであった。

主な登場人物は、上の要約に挙げたビリー、クラガート、そしてヴィアの3人であるが、彼らの心理についてはほとんど語られていない。語られているのは、彼らの行動を規定するメカニズムに関する事柄。クラガートの主要な特性である「生来の悪」を哲学的に分析する箇所も、一見すると時代背景の説明としか思えないような箇所も、このメカニズムを知る上で必要な断片なのだ。

その断片の組み合わせ方によっては、本書は、宗教的な物語のようにも読めるし、善(ビリー)と悪(クラガート)とは別次元的に存在する法(ヴィア)に関する寓話としても読めるし、また別様の読み方もできると思う。

捉えどころのない小説だが、読み終わってみると、自分がこの小説に捉われていることに気付く。例えば、ふとしたきっかけで、死刑執行前にビリーが「神よ、ヴィア艦長を祝福したまえ!」と叫び、後日談において死の床についたヴィアが「ビリー・バッド、ビリー・バッド」と呟くのは、一体何を意味しているのか、とかそんなことを考えてしまう。

2016年1月28日木曜日

『村のロメオとユリア』(岩波文庫):ゴートフリート・ケラー

村のロメオとユリア (岩波文庫 赤 425-5)村のロメオとユリア (岩波文庫 赤 425-5)
ケラー 草間 平作

岩波書店 1972-05
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【概要】
書名:村のロメオとユリア
著者:ゴートフリート・ケラー(ゴットフリート・ケラー)
訳者:草間平作
出版社:岩波書店(岩波文庫)
頁数:126頁
備考:中篇小説

【作者情報】
 ゴットフリート・ケラー(1819-1890)。スイスの小説家。ドイツ語で執筆。

【感想】(ネタバレあり)
スイスの架空の村「ゼルトウィーラ」を舞台にした連作短編集『ゼルトウィーラの人々』の中の1作品。1856年刊行。

タイトル内の「ロメオ」と「ユリア」をそれぞれ英語読みすると、「ロミオ」と「ジュリエット」。つまり、『村のロメオとユリア』は、シェイクスピアの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』の村バージョンとなるだろうか。

比較的裕福な農夫マンツとマルチはゼルトウィーラの村でそれなりに仲良く暮らしていたが、新たに開墾した土地の境界を巡る問題から軋轢が生じてしまう。この軋轢は収まるどころか逆に激しくなり、マンツとマルチは次第に相手を打ちのめすことだけに専心するようになる。その結果、両家とも、田畑を顧みなくなり、濫費を重ね、そして没落していくのだった。

そんな憎しみ合うマンツとマルチの最大の被害者は、マンツの息子サリーと、マルチの娘ヴァヘーレン。二人は、幼馴染で、成長とともに互いに魅かれ合うようになっていた。

両家の争いにおいて先に財産を消尽してしまったマンツ一家は、生活費を場末にある飲み屋の経営で稼ぐために町へと引っ越す。一方、マルチは心労で妻を喪う。

その後、サリーはヴァヘーレンとの偶然の再会を果たすものの、逢瀬の現場を見ていたマルチの頭に怪我を負わせてしまう。その怪我が原因でマルチは狂人になってしまい、精神病院に入院。マルチの家は抵当に入れられ、ヴァヘーレンは奉公に出ることになった。

そして、サリーとヴァヘーレンは、なけなしのお金を持ってヴァヘーレンの奉公先へと向かうのだが、途中で気が変わり心中する。

『ロミオとジュリエット』を下敷きにした設定や物語の筋などに特出しているところはあまりないし、感傷的すぎる嫌いもある。けれども、魅かれる箇所も多く、印象に残る小説だと思う。

例えば、マンツとマルチがつかみ合って喧嘩をする場面。共に喧嘩なんてしたことがないため、憎しみだけが先に立ち、無様に転がり合うだけになるのだが、その時の見ていられないほどの滑稽さと哀しさは、両家の争いの本質を良く表していると思う。

個人的に最も良いと思う場面は、サリーとヴァヘーレンが徒歩で奉公先に向かうところ。先を思えば茫洋とする状況の中で、そのことを気にしないようにしながら、喫茶店のようなところで珈琲を飲んだり、村祭りで踊ったりと、今を楽しもうとするサリーとヴァヘーレン。その先にある悲劇的な結末を予感させつつ、いつまでも二人をそっとしておきたくなる。美しく、そして切ない場面だ。



2016年1月25日月曜日

『フラックスへの反論/ガイウスへの使節』(京都大学学術出版会):フィロン

フラックスへの反論・ガイウスへの使節 (西洋古典叢書)フラックスへの反論・ガイウスへの使節 (西洋古典叢書)
フィロン 秦 剛平

京都大学学術出版会 2000-10
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【概要】
書名:フラックスへの反論/ガイウスへの使節
著者:(アレクサンドリアの)フィロン
訳者:秦 剛平
出版社:京都大学学術出版会(西洋古典叢書)
頁数:285
備考:史書

【作者情報】
紀元前20~30年頃に生まれ、紀元後4045年頃に死去したとされるユダヤ人哲学者。膨大な著作があることでも知られている(邦訳がどの程度あるかは分からないが、軽く調べた感じでは少ない印象)。当時のローマ帝国における第2の都市アレクサンドリアでユダヤ人共同体の指導的地位にあったと考えられている。

【感想】
本書には、「フラックスへの反論」と「ガイウスへの使節」という2つの文章の邦訳が所収されているが、これらがどのような文章かを説明するのは難しい。一般には、古代のポグロム(ユダヤ人に対する迫害)を今に伝える貴重な資料という説明がなされているけれど、それは結果論であって、元々の目的や用途がよく分からないのである。翻訳者の秦氏の解説によれば、読むためのものではなく、読み上げるためのもの、つまり、演説用の原稿としか思えないとのことだが、何のための演説なのかははっきりしない。それゆえ、この文章をどのように評価したらいいのか戸惑ってしまうのだが、結局のところ、古代のポグロムの資料として読まざるを得ないのかもしれない。

[フラックスへの反論]
タイトルからすると、フラックスに対して異議申立てを行う文章のように思えるが、実際はそうではなく、フラックスが行った蛮行とその報いを描きつつ、フラックスにより虐げられたユダヤ人の潔白さを示すもの。ちなみにフラックスは、ローマ帝国における政治家で、ポグロムが発生したときのエジプト総督である。

フィロンは、ユダヤ人に対する迫害の波がエジプトのアレクサンドリアにもやってきたときに、フラックスは、それを治めるどころか焚き付けたとして批判し、その時のユダヤ人の迫害の様子を描いている。ユダヤ人を特定の地域に追いやるなど、ゲットーの萌芽が既に見られるのが印象的。

結局、フラックスは失脚し、流刑地で時のローマ皇帝の命令により殺害される。フラックスの悲惨な末路は因果応報なのだとフィロンは説く。

[ガイウスへの使節]
ガイウスは、第3代ローマ帝国皇帝カリギュラのことで、ポグロムが発生したときのローマ皇帝。ネロと並ぶ暴君として有名。アレクサンドリアでポグロムが発生したとき、アレクサンドリアのユダヤ人共同体ィは、ガイウスに対する陳情のためにローマに使節団を派遣する。フィロンはその一員であった。

「ガイウスへの使節」では、使節団の様子や陳情の内容と、その前後のガイウスの状況や行為などが示されている。当初賢帝と思われていたガイウスが暴君に急変し、それを受け入れることができない民衆の動揺などまで描かれており、フィロンの考察力も味わうことができる。


2016年1月18日月曜日

『カルメン/コロンバ』(講談社文芸文庫):メリメ

カルメン/コロンバ (講談社文芸文庫)カルメン/コロンバ (講談社文芸文庫)
プロスペル メリメ Prosper M´erim´ee

講談社 2000-07
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【概要】
書名:カルメン/コロンバ
著者:プロスペル・メリメ
訳者:平岡 篤頼
出版社:講談社(講談社文芸文庫)
頁数:369頁
備考:中篇小説集(2篇収録)

【作者情報】
プロスペル・メリメ(1803-1870)。フランスの小説家。

【感想】
「カルメン」、「コロンバ」というメリメの代表的な中篇小説を2篇所収している。「カルメン」は、岩波文庫や新潮文庫などでも容易に手に入るので、「コロンバ」を読みたい人向けの本かもしれない。

【カルメン】(ネタバレあり)
1845年発表。作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)がオペラ化したことでも有名なメリメの代表作。

メリメがスペインで出会ったドン・ホセの身の上話という体裁をとった中篇小説。ジプシーの美女カルメンに激しい恋心を抱いたホセは、軍隊から逃亡し、カルメンのために盗賊に身を落とす。その後、カルメンの夫ガルシアが脱獄してくると、ホセは、同じ盗賊団の仲間としてガルシアと行動を共にするようになるのだが、熱愛するカルメンの夫と相容れるわけもなく、結局ガルシアを決闘で殺してしまう。これで満足がいくと思いきや、ホセは、闘牛士のルカスに気を移したカルメンさえも殺してしまうのだった。

カルメンの美貌と自由を欲する気質は男を暴力的にするようだ。ガルシアは一見すると、ただ凶暴なだけの男で、ホセとは違いカルメンをそれほど愛しているようには見えないが、実際にはガルシアもカルメンに狂わされた男なのだろう。ホセがカルメンを殺すのに使った匕首が元々はガルシアのものだったことは、カルメン殺害がガルシアの願望でもあったことを暗示していると思う。

あと物語とは直接は関係しないのだが、夕暮れ時になると裸になって川で垢を落とす女性たちを、暗闇で見えないのに関わらず男たちが遠くから一生懸命覗こうとしているエピソードと、それに続く、夕暮れ時を知らせる鐘の音をいつもより早く鳴らさせて、明るいうちに川に入る女たちを男たちがニヤケながら見つめるエピソードがいい。冒頭に挿入されるこの楽園的なエピソードは、作中のメリメが感じている旅の高揚感や幸福感を上手く表しているし、読んでいる私もまた少し背徳的な喜びを覚えずにはいられない。

実際に作中のメリメもこのエピソードを当初は非常に気に入っている。しかし、メリメがカルメンと邂逅した後では、メリメ自身も陰鬱となり、このエピソードがメリメを惹きつけることもなくなる。メリメ自身もまた、ホセと同様に、カルメンと出会うことによって失楽したのだ。ホセは、メリメの(そして読者の)一つの可能性なのである。

【コロンバ】
「カルメン」と並ぶメリメの代表的な中篇小説。1841年発表。

大佐とその娘は、観光のためにシチリア島へと向かう途中で、シチリア島出身の男オルソと出会う。オルソの父親はある男の謀略によって殺されており、島の古くからの掟では、そのような場合には、父親の敵を討たなければならない。しかし、オルソは島外の生活が長かったため、そんな野蛮な掟に従う気にはなれなかった。

ところが、シチリア島にずっと住んでいたオルソの妹コロンバは復讐を誓っていた。コロンバは嫌がるオルソを焚き付け、敵との戦いを余儀なくさせるのであった。

大佐の娘とオルソのラブロマンスの要素もあるが、注目すべきは、やはりそのラブロマンスの背後で着々とオルソを戦いへと引き込むコロンバの悪女ぶりだろう。コロンバは、カルメンのような奔放自在さが故に男を惑わすファム・ファタールではなく、自分の目的を果たすためには手段を選ばず、人を不幸にすることを目的としているので、カルメンよりも怖い。

悪女やファム・ファタールのような言葉を使って小説を説明すると、ミソジニー(女嫌い)的な小説に見えてしまうかもしれないが、個人的には、これらの小説は、ミソジニー的というよりマゾヒズム的な小説だと思うのだが、どうだろうか?

2015年12月17日木曜日

『ユダヤ戦記』(ちくま学芸文庫):フラウィウス・ヨセフス

ユダヤ戦記〈1〉 (ちくま学芸文庫)ユダヤ戦記〈1〉 (ちくま学芸文庫)
フラウィウス ヨセフス Flavius Josephus

筑摩書房 2002-02
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【概要】
書名:ユダヤ古代誌
著者:フラウィウス・ヨセフス
訳者:秦 剛平
出版社:筑摩書房(ちくま学芸文庫、全3冊)
頁数:423頁(1巻)、394頁(2巻)、341頁(3巻)
備考:史書

【作者情報】
帝政ローマ時代の著述家、歴史家。紀元37年生まれ。ユダヤ人であったが、ローマ帝国とユダヤ人との間で行われたユダヤ戦争でローマ側に投降し、ローマ軍の一員としてエルサレム陥落に立ち会う。その後、ユダヤ戦争の顛末を描いた『ユダヤ戦記』、ユダヤ人の歴史をまとめた『ユダヤ古代誌』などを執筆し、100年頃にローマで死去したとされる。

【感想】
本書『ユダヤ戦記』は、『ユダヤ古代誌』に先だってヨセフスにより書かれた史書で、作者自身も参加したユダヤ戦争の顛末を描いている。ユダヤ戦争には、第1次ユダヤ戦争(66年-70年)と、バル・コクバの乱とも呼ばれる第2次ユダヤ戦争(132年-135年)があるが、本書によって語られるのは第1次ユダヤ戦争の方である。

ヨセフスは本書を書くにあたり、他の歴史家の記述は正しくなく、自分の記述こそが公平かつ正確であることを強調している。しかし実際には、戦力や戦死者数などには明らかな誇張があるし、腑に落ちない記述もある。ヨセフスの記述がどこまで正しいかは分からないが、ユダヤ人側の将として参加し、その後ローマ軍に投降したヨセフスがローマという異国の中で不利な立場に立たされないように慎重に書いたことは間違いないだろう。

エルサレムやユダヤ地方の美しい描写などもあるが、基本的には戦争の話なので、目をそむけたくなるような残酷な描写が多い。ヨセフスの筆は残虐な行為もオブラートに包むことなく真っ向から描いているのでなおさらだ。また、トゥキュディデスの『歴史』のように人物たちの演説を要所々々に挿入しており、高揚感などを煽るのに効果的に使われていると思う。

底本では7巻構成だが、ちくま学芸文庫では3巻に分かれている。以下では、特に断りのない限り、巻数はちくま学芸文庫を示すことにする。

[第1巻]
1巻は、戦争前のユダヤ人の状況が主に語られている。ヨセフスはユダヤ戦記に関係する出来事を語ると言っているが、実際にはユダヤ人の王国であるアサモナイオス朝の成立(紀元前140年頃)くらいから話を始めており、かなり前口上が長い印象を受ける。

戦争は、アサモナイオス朝の後を継いだヘロデ朝のアグリッパ2世の治世に起こる。アグリッパ2世は一応ユダヤ系の人間なのだが、実際にはローマ人であり、ユダヤ人の政治的な独立は失われていたといっていい。

そういう状況の中で、ユダヤ領のカイサレイアという街でギリシア系住民とユダヤ系住民の諍いが起こる。時のユダヤ総督のフロロスが対応するが、それがギリシア側に有利だったために、ユダヤ人の不満が爆発、各地に飛び火する結果になる。ここで、アグリッパ2世はユダヤ人の叛乱を食い止めようとかなり長く気合の入った演説をするものの、効果はなく、ユダヤ人はゼーロータイ(熱心党)と呼ばれる過激派の意向を受けて、ローマとの戦いに臨むことになってしまう。

ユダヤ人は、緒戦でローマ側のシリア総督ケスティオスを斥け、その後、ヨセポス(作者のヨセフスのこと。文章中では表記が異なる)を将軍としてユダヤの北に位置するガリラヤに赴任させる。そして、ヨセポスはガリラヤの都市を要塞化し、来るべく戦いに備えるのであった。

[2]
ユダヤの叛乱のことがローマ皇帝ネロ(本書ではネロン)の下に届く。事態を重く見たネロは、ウェスパシアノスを叛乱鎮圧のためにユダヤの地へ派遣する。ウェスパシアノスは、自身の息子ティトスと共に軍を集結させ、ヨセポスが要塞化したガリラヤに進軍する。

ウェスパシアノス&ティトスが率いるローマ軍とヨセポスが率いるユダヤ軍との戦いでは、ユダヤ軍も善戦するものの結局はローマ軍が優勢となる。ヨセポスは無駄死によりは投降を選ぶように兵士を説得するが失敗。残された兵士は自害し、ヨセポスはローマに投降する。ヨセポスはウェスパシアノスの前に連れて行かれると、ウェスパシアノスに向かって突然、あたなは将来皇帝になると予言し、そのことがウェスパシアノスに気に入られ、処罰を免れるどころか厚遇されることになる。

こうしてガリラヤを平定したウェスパシアノスはエルサレムに向かって進軍する。一方、ユダヤ人の聖都エルサレムでは、ギスカラのヨアンネス率いる野盗がゼーロータイと共に市民に対して暴虐を行うようになっていた。それに対して大司祭アナノスは市民を立ち上がらせてヨアンネスに対抗する。しかし、ヨアンネスは、ユダヤ系のイドマヤ人に対してアナノスは残忍であると中傷し、アナノス側に攻撃を加えさせ、アナノスを殺してしまう。そしてヨアンネスはエルサレムで独裁者として君臨することになる。

ウェスパシアノスはエルサレム周辺の都市を次々に陥落させ、後はエルサレムを落とすのみとなるのだが、ちょうどその時、ネロ皇帝が殺され、ガルバが皇帝に推挙される。しかし、ガルバは直ぐに部下のオト(本書ではオットー)に殺害され、さらにオットーはウィテッリウス(本書では、ウィテルリオス)の攻撃を受け自害し、ウィテッリウスが皇帝となる。それに腹を立てたウェスパシアノスは部下の兵士にローマ皇帝に推挙されると、エルサレム攻略を取りやめ、ローマの食物庫であるエジプトに向かい、そこを手中に収める。そしてシリア総督のムキアヌスをローマに進軍させる。ムキアヌスはウィテッリウスを破り、ウェスパシアノスはヨセポスの予言通り、名実ともにローマ皇帝となった。

一方、ユダヤの地では、ギオラスの子シモンが軍を組織し村々を荒らしまわっていた。ヨアンネスに反対する側の住人がヨアンネスと対抗するためにシモンの軍をエルサレムに導き入れる。そのため、エルサレムは内乱状態に陥り、さらにヨアンネスからエレアザロスが分派し、三つ巴の戦いが起こるなど混乱を極める。

そこに皇帝ウェスパシアノスからエルサレム攻略を命じられたティトスの軍隊が到着し、エルサレムを包囲する。そこでユダヤの暴徒たちは手を組み、ローマとの戦うことにするのだが、とばっちりを受けるのは市民である。暴徒たちに金品や食糧は強奪され、生活は劣悪に。このときの市民生活の描写は胸が痛くなるほど悲惨であり、戦争で最も被害を受けるのは弱者であるという「普遍的な」ことがここでも起こっている。しかし、そんな市民の生活をよそに戦いは続く。ローマ軍は城壁を破り、エルサレムの内部へと侵攻してくるのであった。

[3]
3巻は半分くらいが解説や年表、索引などに割かれていて、本文としては短い。
エルサレム内部での悲惨な生活は続いている。特に飢餓が極度に達し、自分の子供を食べるマリアのような者が出る始末だった。

ローマ軍がエルサレムの防御の要であるアントニアの塔を陥落させると、残りの暴徒たちは神殿内部に立て篭もり最後の足掻きを見せる。しかし、勝負は既についていた。ローマ軍は神殿内部に入ると、隠れていた暴徒の指導者ヨアンネスとシモンを捕らえる。ついにエルサレムは陥落したのだった。

ここで底本の6巻が終わる。底本の最後の7巻は後日追加されたもので、ユダヤ戦争の後日談のようなものになっていて、ヨアンネスやシモンの最後や、ウェスパシアノスやティトスの凱旋式の様子が描かれる。

そして、マサダの要塞に立て篭もった交戦派ユダヤ人の残党とローマ軍の最後の戦いが語られる。この戦いは、ユダヤ人の集団自殺という痛ましい出来事で幕を閉じ、ユダヤ戦争は完全に終結する。

ユダヤ戦記〈2〉 (ちくま学芸文庫)ユダヤ戦記〈2〉 (ちくま学芸文庫)
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2015年11月11日水曜日

『ユダヤ古代誌』(ちくま学芸文庫):フラウィウス・ヨセフス

ユダヤ古代誌〈1〉旧約時代篇(1−4巻) (ちくま学芸文庫)ユダヤ古代誌〈1〉旧約時代篇(1−4巻) (ちくま学芸文庫)
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【概要】
書名:ユダヤ古代誌
著者:フラウィウス・ヨセフス
訳者:秦 剛平
出版社:筑摩書房(ちくま学芸文庫、全6冊)
頁数:446頁(1巻)、351頁(2巻)、400頁(3巻)、413頁(4巻)、368頁(5巻)、451頁(6巻)、
備考:史書

【作者情報】
帝政ローマ時代の著述家、歴史家。紀元37年生まれ。ユダヤ人であったが、ローマ帝国とユダヤ人との間で行われたユダヤ戦争でローマ側に投降し、ローマ軍の一員としてエルサレム陥落に立ち会う。その後、ユダヤ戦争の顛末を描いた『ユダヤ戦記』、ユダヤ人の歴史をまとめた『ユダヤ古代誌』などを執筆し、100年頃にローマで死去したとされる。

【感想】
本書『ユダヤ古代誌』は、神による天地創造からユダヤ戦争の直前までのユダヤ人の歴史をまとめた史書である。ユダヤ人の歴史を描いた書物といえば、いわゆる『旧約聖書』が存在するが、『旧約聖書』は単なる歴史書ではないため、読み解くのは容易ではない。
例えば、創世記の冒頭から既に矛盾がある。天地創造の六日目で草木を創っておきながら、七日目の後で地にはまだ木も草もないと語られたり、神の似姿の男女を創造した後で、アダムの肋骨からイブを創る記述があったりする。これは、旧約聖書を複数の資料から編纂したために生じたものだとされている。また、出エジプト記までは、まだ物語性も高く比較的読み易いのだが、レビ記に入ると、律法(生活に関する規定)が大半を占めるため、読むが辛くなってくる。
それに対して『ユダヤ古代誌』は、『旧約聖書』を主に利用しつつも、複雑なユダヤ人の歴史を他の民族にも分かりやすく示すことを目的としているため、歴史の流れを理解しやすくなっている。もちろんその反面、様々な要素が抜け落ちることになるわけだが、『旧約聖書』にはない要素も加わっているので、一長一短である。
ヨセフスは、基本的には、淡々と「事実」を語るのだが、時々「主張」を入れてくる。特に何度も強調されるのは、権力が人を堕落させるということである。ありふれた主張ではあるが、人が未だに陥る業なので、今一度確認しておくことも無駄ではないだろう。

[第1巻]
第1巻は、天地創造からモーセの死まで。
天地創造に始まり、アダムとイブの楽園追放、カインによる最初の殺人、大洪水とノアの箱舟、バベルの塔の崩壊など有名な神話が続く。その後、アブラハムの物語、イサクとヤコブ物語、モーセの物語と徐々に歴史的な色合いが出てくるが、基本的には、第1巻で描かれているのは、神話の時代である。
洪水を生き残ったノアの子孫であるアブラハムの物語で極めて重要なことが語られる。つまり、アブラハムは神からカナンの地(パレスチナ)が与えられるのだ。これは今なお続く中東問題の根の一つになっている。ただし、アブラハム自身は敬虔で賢明な人物である。
アブラハムの子供と孫にあたるイサクとヤコブの物語は、家族愛(同族愛)に関する一種の寓話のような物語で、心を打つものがある。「ヤコブの梯子」として有名な逸話も含まれている。このヤコブの子孫がイスラエルの12部族を形成している。ちなみに、イサクの異母兄弟にあたるイシュマエルを祖とするイシュマエル人がアラブ人になったとされている。
モーセの物語は、ユダヤ人の歴史の起点だと思う。エジプトで隷属的な地位にあったユダヤ人をエジプトから脱出させたモーセに従い、そのモーセの神と契約を結んだ者こそがユダヤ人だからである。奴隷が大国エジプトから、しかも集団で脱出するだけでも奇跡的なのだが、それをドラマチックなエピソードで彩っているので、物語としても非常に面白いし、ファラオの強情さや直ぐ弱気になるユダヤ人などに人間の普遍的な姿を見ることができる。
エジプトを脱出したモーセは、シナイ山で神から十戒を受け、その十戒を記した石版を入れる契約の箱を作る。その後、モーセは内部の不和を収めつつ、カナン人との戦いに明け暮れることになる。また、第1巻には、モーセの行動だけでなく、律法の一部が比較的多めに紹介されている。

[第2巻]
第2巻は、ヨシュアによるカナン征服からソロモン王の即位まで。
モーセの後を継いだヨシュアは、カナン人との戦いを続ける。ヨシュアは、モーセからカナン人を殲滅するように指示されており、実際に敵の都市を落とすと、女、子供関係なく虐殺する。今後、敵を殲滅することが古代ユダヤ人にとっての「正しい戦争」となるのだ。
殲滅戦では、自分たちの被害も大きくなるので効率的だとは思えないが、それでもヨシュアが率いるユダヤ人は強く、カナンの地を概ね制圧してしまう。ヨシュアは、制圧した土地をイスラエルの12部族に分配する。ちなみに、イスラエルの部族には、土地を分配された12部族の他に、土地を持たない祭司階級を構成するレビ族が存在する(レビ族を12部族に入れることもある)。
ヨシュアの死後は、部族ごとに士師と呼ばれる指導者に従う士師の時代となる。士師の時代のユダヤ人は、各地でカナン人などと戦いながら領土を広げていく。ただし、カナン人を殲滅するのではなく、カナン人と共存するという合理的な選択も多くみられるが、神はこれを善しとはしない。
士師には、女予言者デボラなど興味深い人物もいるが、全体としては小粒な印象を受ける。その中では、愛するデリラに騙されて力の源である髪を切られて敵に捕まってしまう怪力サムソンの有名なエピソードが目を引く。
最後の士師サムエルは例外的に偉大である。幼い頃から敬虔で神に愛されたサムエルは、イスラエルの歴史の中でも最も偉大な指導者の一人だろう。ペリシテ人に奪われていた領土を取り返しただけでなく、それ以降ペリシテ人の侵攻を寄せ付けず、また、肉欲や権力に溺れることもなく、誠実に種々の預言でイスラエルの民を導く、まさに理想的な指導者だった。
そのサムエルも歳には勝てず、年老いてからは息子たちに頼るようになるが、この息子たちは出来が悪く、民から見放されてしまう。そして民はイスラエルも他の国と同じように王を擁立するようにサムエルに頼むのだった。サムエルは、民の上に神とは別の「王」を据えることに反対するが、民は納得しない。そこでサムエルは仕方なく、預言に従ってサウルを王に選ぶ。
こうしてイスラエル王国の最初の王となったサウルは、当初はサムエルと協力しながら王国を良く導くが、「アマレク人を殲滅せよ」という神の命令に背いたことで、神とサムエルに見放されてしまう。
そこでサムエルは、次の王となるべきダビデを見出す。ダビデは非常に美しく、賢くそして勇気もある。ペリシテ人の最強の戦士である巨人ゴリアテを投石で仕留めるなど、武勇を重ねると、サウルからも寵愛されることになる。しかし、ダビデの民からの人気が高まるにつて、サウルはダビデに嫉妬するようになる。
サウルとダビデの確執と戦いは、王者の風格と威厳を持つダビデがサウルを(少なくとも精神的には)終始圧倒する。そして、サウルがペリシテ人との戦いで戦死すると、サウルとは血の繋がりのないダビデがユダで王位に就き、その後、イスラエル全体の王となる。
ダビデは、美しい人妻バテシバの夫ウリヤを危険な戦地へ送って殺してからバテシバを自分の妻に迎えるという非道な行いや、息子のアブサロムの反乱でアブサロムを意に反して死なせてしまうなどするが、概ね立派に王国を治めたといえるだろう。
ダビデの死後、ダビデとバテシバの子ソロモンが王国を継ぐことになる。

[第3巻]
第3巻は、ソロモンの時代からアレクサンドロス大王の時代まで。
ソロモンはダビデ以上に優秀で公平な王として描かれる。実際、ソロモンは、ダビデが熱望したが神から血に塗られ過ぎているという理由で拒絶された神殿の建造などの大規模な公共事業などを行い、イスラエル王国の発展に努める。そしてソロモン王の下で、スラエル王国は最盛期を迎えるのだった。
ソロモンの死後、息子のレハブアムが王国を継いだが、不用意な言葉により臣民の反感を買ってしまい、イスラエルの12部族のうち10部族が離反してしまう。離反した側の10部族は、北側にイスラエル王国を建国し、レハブアムは、自分の下に残ったユダ族とベニヤミン族を従え、南側にユダ王国を建国する。
イスラエル王国とユダ王国の歴史は、おおよそ同年代の事件が語られるように交互に描かれ、さらには両王国で同時期に同名異人が王になったりするなど、かなり煩雑であるが、フラウィウスの筆は、概ねダビデの血を引くユダ王国に甘く、ダビデの血を引かないイスラエル王国には厳しい。
イスラエル王国は、ユダ王国よりも国力があったようだが、クーデターなどにより王朝が頻繁に変わり力を失っていき、最終的にはアッシリア(新アッシリア王国)に滅ぼされてしまう。その際、10部族はアッシリア本国に連れ去られ、消息を絶つ。この10部族がいわゆる「イスラエルの失われた10部族」である。
ユダ王国は、イスラエル王国とは異なり、ダビデの血を引く一族が王位を引き継いでいく。それらの王の多くがイスラエルの王よりも肯定的に描かれており、ユダ王国が正統な王国であることが仄めかされている。しかし、そんなユダ王国も、滅亡はかろうじて免れたものの、アッシリアの完全な属国となってしまう。その後、宗主国がアッシリアからエジプト、そしてバビロニア(新バビロニア)へと移る。そしてバビロニアに反旗を翻すものの失敗、ユダ王国の首都エルサレムとその神殿は破壊され、さらに王や貴族階級の人々はバビロニア本国に捕囚されてしまう(バビロン捕囚)。これにより、ユダヤ人の独立国は失われてしまう。
バビロニアが新興国ペルシアのキュロス大王に滅ぼされると、バビロニアに捕囚されていたユダヤ人は解放され、エルサレムに戻り、神殿を再建する。しかし、独立は叶わず、ペルシアの次は、アレクサンドロス大王が率いるマケドニアに支配される。
本書では、この大きな歴史の他に、捕囚されたユダヤ人の一人で賢明さによりバビロニアで重用されたダニエルの物語や、薄幸なユダヤの少女からペルシアの王妃になるエステルの物語など、面白い歴史物語が収録されている。特にヨセフスがダニエルを非常に高く評価している点は注目に値する。

[第4巻]
第4巻は、主にアサモナイオス朝(ハスモン朝)について描かれるが、先ずは、エジプトのアレクサンドリアにおける七十人訳聖書成立の過程が説明される。出来上がった翻訳は今後一字一句変更しないことが取り決められるなど、普通の書物の翻訳と、聖典の翻訳とは全く別物である。なお、七十人訳聖書は、簡単に言えば、旧約聖書のギリシャ語訳のことである(正確に言えば、少し違う)。
さてアレクサンドロス大王の死後、ディアドコイ戦争と呼ばれる後継者争いが勃発し、アレクサンドロス大王の膨大な領土は分割される。聖地エルサレム周辺に住むユダヤ人は、当初プトレマイオス朝エジプトの支配下に入るが、その後、セレウコス朝シリアに編入される。
そしてシリアがユダヤの律法を蔑ろにする行為を取ると、ユダヤ人たちは、不満を爆発させ、司祭のマタティアスを指導者としたアサモナイオス一族が中心となってシリアに反乱を起こす。マタティアスは比較的早く戦死してしまうが、息子たちは非常に優秀であった。先ず、マタティアスの後を継いだのは、マカバイと呼ばれたユダ(ユダ・マカベウス)で、この反乱は彼の名をとってマッカバイオス戦争と呼ばれる。
マッカバイオス戦争では、ユダが倒れると、その兄弟のヨナタンが後を継ぎ、ヨナタンが倒れると、その兄弟のシモンが後を継いだ。そしてシモンの時代に、遂にエルサレムからシリア軍を追い出し、ユダヤ人は再び独立を手に入れる。これがアサモナイオス朝である。
アサモナイオス朝は、自国の後継者争いだけでなく、隣国であるシリアやエジプト、そして地中海世界で存在感を増してきたローマなどとの駆け引きに明け暮れるなど、平穏とはいかないが、それでも強かに100年ほど続く。アサモナイオス朝の歴史を総括すれば、愚かな行為もあるが、強国に囲まれた中で上手く立ち回ったと思う。
アサモナイオス朝は、一旦はローマのポンペイウス(カエサルとの第一回三頭政治で有名なポンペイウス)によって占領されてしまうのだが、その後も、ローマの意向とユダヤ人側の駆け引きなどにより細々と続く。
しかし、結局、ローマの後ろ盾を得たヘロデがアサモナイオス朝を滅ぼし、自らユダヤの王となる。ヘロデは、血筋的にはユダヤ系ではないのだが、アサモナイオス朝の最後から2番目の王の孫娘を娶り、その際に、割礼を受けユダヤ人となった人物である。

[第5巻]
第5巻は、全てヘロデ大王の治世に当てられている。
アサモナイオス朝を滅ぼしたヘロデ大王は、元々アントニウス(第二回三頭政治で有名なアントニウス)の援助を受けていたが、アントニウスがオクタウィアヌス(アウグストゥス)に敗れると、直ぐにオクタウィアヌスに取り入って、権力の維持に成功する。悪く言えば、ローマの犬なわけだが、ヘロデは、そうしなければ生き残れないことを知っていたし、状況を適確につかみ、(権力を維持および拡大するための)最善の手を打つ能力があったといえるだろう。
ヘロデは、アサモナイオス朝の王族の生き残りや反抗的な司祭を処刑したり、民に重税を課したりなど独裁を敷く一方で、神殿を建て直したり、港や要塞などを建造したりするなどの公共事業も行っている。
ヨセフスは、基本的にヘロデを権力に溺れた悪人のように描くが、古代イスラエルに最大の繁栄をもたらせたことは認めざるを得ない。ただし、この繁栄は対外的には繁栄に見えたということかもしれない。例えば、立て直した神殿は、ローマの人々にも評判になるほど豪華絢爛であったが、イスラエルに住むユダヤ人にとっては、むしろ搾取された証として映った可能性が高い。
晩年のヘロデは、多くの独裁者がそうであったように疑心暗鬼を募らせ、跡継ぎとして考えていた自分の息子たちさえも処刑したり、別の息子の暗躍を許したりするようになってしまい、最後は、原因不明の病気に罹り、苦しみの中で死んでいった。
凄まじいのは、その死に際である。自分が死ねばユダヤ人が喜ぶことを知っていたヘロデは、大勢のユダヤ人を競技場に閉じ込め、家来たちに自分が死んだ後にそのユダヤ人を全て殺すように指示したのだ。そうすれば、ヘロデの葬儀は、殺されたユダヤ人の家族が悲しむ中で執り行われるというのである。極悪非道とはこのことだ。しかし、これは実行されず、ヘロデの妹のサロメなどによって、閉じ込められていたユダヤ人は解放される。

[第6巻]
第6巻は、ヘロデ大王の死後からユダヤ戦争の直前まで。また、「ヨセフスのキリスト証言」と呼ばれる、聖書を除く古代の書物におけるイエス・キリストについての唯一の記録が存在するが、これが非常に短く、『ユダヤ古代誌』の中では特に重要なエピソードとして扱われてはいない。
ヘロデ大王の死後、領土はヘロデ大王の遺言に従って3人の息子ヘロデ・アルケラオス、ヘロデ・フィリッポス、ヘロデ・アンティパスに分割されることになったが、ローマ帝国は、息子たちが王を名乗ることを許さず、領主という低い地位での統治となった。なお、ローマ帝国に没収された領地などもある。
後を継いだ3人の息子のうちアルケラオスとアンティパスは失政により追放され、その領土はローマに編入されてしまう。フィリッポスは死去するまで領土を治めたが、領土を自分の息子に継がせることはできず、時のローマ皇帝ガイウス(カリギュラ)と親しかったヘロデ大王の孫のアグリッパ(ヘロデに処刑されたアリストブロスの子)が領土を引き継ぐこととなる。アグリッパには、皇帝ガイウスによりアンティパスの元領土が加えられ、そしてガイウスの死後、皇帝クラウディウスによりアルケラオスの元領土も加えられ、王の地位を得た。
また、本巻では、ユダヤの歴史とは直接関係のないガイウス暗殺の一部始終などが詳細に書かれているなど、ユダヤが完全にローマの一部に組み込まれたことをうかがわせる。
アグリッパの死後、その領土はローマに没収され、ユダヤ人はローマから派遣されたユダヤ総督の支配下での生活を余儀なくされる。
一応、その後、アグリッパの息子アグリッパ二世の統治が認められるようになるのだが、ほとんど意味あるものではない。このような総督の支配下でユダヤ人たちは不満を募らせていき、対ローマ戦争であるユダヤ戦争へと突入するのだが、その直前で本書は幕を閉じる。

ユダヤ古代誌〈2〉旧約時代篇(5−7巻) (ちくま学芸文庫)ユダヤ古代誌〈2〉旧約時代篇(5−7巻) (ちくま学芸文庫)
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