2016年8月2日火曜日

『エウセビオス「教会史」』(講談社学術文庫):エウセビオス

エウセビオス「教会史」 (上) (講談社学術文庫)エウセビオス「教会史」 (上) (講談社学術文庫)
秦 剛平

講談社 2010-11-11
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【概要】
書名:エウセビオス「教会史」
著者:エウセビオス
訳者:秦剛平
出版社:講談社(講談社学術文庫)
頁数:上巻:512頁、下巻:533頁
備考:史書

【作者情報】
263年頃生まれ、339年没。古代ギリシア語でキリスト教(正統信仰)に関する著述を行ったギリシア教父の一人。分裂していたローマ帝国を再統一し、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の寵愛を受けるまでに出世したとされ、キリスト教の正統教義を決定する最初の公会議であるニカイア公会議にも出席した。

【感想】
エウセビオスの『教会史』は、イエスの受肉からコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認(313年)までのキリスト教の教会と信徒の歴史を描いた歴史書。最古のキリスト教史として知られており、歴史的な価値も高い。とはいえ、「正統キリスト教」による偏った歴史観で書かれているため、客観的な歴史を読み解くのは難しい。

『教会史』では、先ず、教会史のための序章として、キリスト教や福音書の正統性について簡単に語られる。ここで、個人的に面白いと思うのは、キリストが誕生した時期についての弁明と、福音書においてキリストの系図が矛盾することに対する弁明。わざわざ弁明するということは、当時から問題になっていたに違いない。

実際、イエスが人々を救う救世主(キリスト)であるならば、なぜもっと早く現れて、もっと多くの人に救いの手を差し伸べなかったのかという疑問が浮かぶのも当然だと思う。これに対してエウセビオスは、人々がキリストの教えを理解できるまで成熟するのを待っていたと答える。

また、キリストの系図は、新約聖書に含まれる4つの福音書のうちマタイの福音書とルカの福音書にそれぞれ記載されているが、これらに異同があることは有名である。これについては、一方は血のつながりを基準にした自然の系図、もう一方は養子等を考慮にいれた律法上の系図とみなすことで矛盾を解消している。

新約聖書が常に正しいことを前提に解釈していく様子がうかがえて興味深い。

その後は、使徒(キリストの直弟子)たちによって教会が各地にできる様子が描かれ、さらに各教会の指導的人物である監督たち系譜や出来事が時代順に書かれることになる。

個々のエピソードを追っても仕方ないので、ここでは、繰り返し語られるいくつかの主題について注目したい。

一つ目は、反ユダヤ主義。キリストをローマに引き渡して処刑させたのがユダヤ人であることを理由に、エウセビオスはユダヤ人に対してあからさまな敵意を示す。ユダヤ民族は、キリストの死後、ヨセフスの『ユダヤ戦記』に描かれているように、ローマと衝突し、かなり悲惨な状況に追いやられてしまうのだが、エウセビオスはそれを当然の罰として考えている。

キリストにたいする犯罪後の丸四十年もの間、彼ら(ユダヤ人)の破滅を遅らせたすべてに恵み深い摂理の人類愛を示すと思われる〔事実〕を付け加えるのは正当だろう(上巻160,161頁)。

実際にキリストをローマに引き渡した者たちにではなく、その子供の世代のユダヤ民族全体に罰を与えることが恵み深いと説明されるのは、今の感覚からすれば腑に落ちないところではあるが、個人よりも民族の方が本質的であるという認識が潜在的にあるのかもしれない。

翻訳者の秦剛平は解説で本書における反ユダヤ主義を強調している。しかし、第二次ユダヤ戦争とも呼ばれるバル・コクバの乱(132年-135年)でユダヤ人たちが壊滅的な被害を受けると、エウセビオスはそれで満足したのか、それ以降はユダヤ人についてあまり語られなくなる。

二つ目は、異端との戦い。キリスト教の教義は最初から存在したわけではなく、初期のキリスト教徒たちが試行錯誤を重ねて徐々に作り上げてきたものだと解釈するのが妥当だと思われるが、エウセビオスは、異端と正統はアプリオリに分けられているかのように語る。

このため、正統教義がどのように形成されたのかが全く分からなくなってしまっている。これは、キリスト教徒がキリスト教徒としてのアイデンティティをどのように形成したのかということが分からないことを意味するわけで、非常に残念である。

三つ目は、殉教。時代によって程度の差はあれ、ローマ皇帝の神権を認めなかったことや、ローマの神々を否定したため、キリスト教徒はかなり迫害されていたことが確からしい。逮捕され、棄教を迫られ、応じなければ拷問を受けることも度々だった。

この殉教の様子は何度も何度も描かれているが、それらの描き方に基本的な差異はない。拷問に耐え、死んでも棄教しない殉教者が賛美され、棄教した者は貶される。この評価は、当時の状況を鑑みても歪んで見える。イエスは、拷問に耐えられないような弱い者の味方ではなかったか。そもそも「殉教する」という行為を賛美する思想は、イエスが批判した律法主義ではないのか。エウセビオスは、そんなことを考えてもいないようだ。

エウセビオス「教会史」 (下) (講談社学術文庫)エウセビオス「教会史」 (下) (講談社学術文庫)
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